限定解除 その4

昭和50年代初期の府中試験場の限定解除技能試験(実技)の様子を述べてきたが、技能試験はどの車種でも減点法である。受験者はバイク運転技術、道交法順守による安全確認、安全運転など諸々が減点対象になり、さらにバイク乗車に相応しい服装(ヘルメット、グローブ、ブーツは必携)、常識ある運転者としての態度も減点対象!?になったと思えるほどだった。また試験中の危険走行は、速その場で試験中止になるとのことだった。勿論、自分が知る限り危険走行をした受験者などいなかった。

この当時、自動車教習所で「ナナハン免許」の教習をしているところなどまったく無かった。 (勿論、限定解除技能試験を運転免許試験場で受けるための事前練習と言う意味である)
自動車教習所のコースを時間借りし、個人的に大型バイクを持ち込んで練習すると言う方法が一番現実的な方法だったが、そんな経済的余裕など無い時期だった。
K区の湾岸埋め立て地に区営体育館が新設されて、その前がかなり広い駐車場だった。平日は空いていた。この駐車場にCB400FourⅡで行き、空き缶をパイロン変わりにして置いて簡易コースを作り、スラローム、クランク、8の字走行、急旋回、短制動、を練習した。この場所、当時は工場や倉庫くらいしかなくバイクの騒音など気にされない場所だった。それにCB400FourⅡは4in1マフラーためなのか静粛性が良く、カフェレーサータイプなのに大変おとなしいバイクであった。また旋回性能が良く、まるで零戦みたいなバイクだった。

専門校の授業の合間を潜り抜けて、週に2~3回くらいの頻度で試験場通いをしていた。そのうち受験者同志でコミュニティーが出来てきた。良く会う顔同志と言うことである。年齢も大差がなかった。そうなると食堂や内周コース控室でバイク談義と実技試験談義に興じてしまう年頃だった。その時知り合ったライダー同志で「ナナハン免許」取得後、ナナハンで再集合し、全機ナナハンでツーリングに行くようになるのは後日のことだった。

そうこうしている内に技能試験(実技)も回数を重ねていたが、内周コースにおいての沈没が10回以上続いていた。内周コースでかろうじて何とか出来たのは初回のみ、その後はスラローム走行でパイロンを引っ掛けたり、引っ掛けたままコースアウトしたり、一本橋走行で落ちたりしていたのだ。試験車はいつもスズキGT750ばかりである。受験生キラーとまで言われたでかい車体のGT750をどう操作するかが最大の難関だったのだ。
N試験官やW試験官の乗車する追尾車(試験車でもある)はいつもカワサキ750RS(Z2A)ゼッツーである。それにこの750RS試験車の前後バンパーは小振りな一般市販用のバンパーが装着されていたのである。何れにせよカワサキ750RS (Z2A) はこの当時一番人気のナナハンだった。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック