霧ヶ峰 ビーナスライン

自分の家は代々の江戸っ子で、一族郎党もほとんど江戸っ子である。コーヒーでは無くコーシィーとなる。親父(故人)は大学時代の友人で長野県の人が居て仲が良かったそうだ。そんな訳で親父は長野県によく行ったそうだ。戦時中に志賀高原でスキーをしたと話していた。登山も好きだったらしいが、槍穂高と言った険しい岩稜帯ではなく志賀高原、霧ヶ峰、蓼科高原、高ボッチ高原と言った比較的なだらかな場所をハイキングするのが好きだったらしい。戦時中の規制が厳しいなかよくぞ行ったと感心するが、親父は陸軍の見習士官で出征せずに終戦を迎え生き残ったのである。そんな親父に子供時代の自分はよく霧ヶ峰や志賀高原に連れて行ってもらった。そんな訳で長野県には縁もゆかりもないけれどお気に入りの地なのである。その当時、霧ヶ峰にはビーナスラインなど無かった時代である。でもグライダーは飛んでいた。
昭和の高度成長期後半の40年代中頃にビーナスラインは開通したが周辺の開発もまだそれほどではなく、観光地化していなかった。ビーナスラインの初体験は中学生の頃、バスによる移動だったが、車窓からながめる高原や山の景色もさることながら、バスを追い抜いて行くバイクも眺めていた。ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの車種も排気量もまったく分からない時期だったが、かっこいい!と羨望のまなざしだった。

中型限定免許を取ってCB400FourⅡに乗っていた昭和50年代初期、ビーナスラインがある信州諏訪地方に行くには中央高速はまだ完全に貫通しておらず、調布から大月まで中央高速に乗り、後は国道20号線を走り、甲府バイパス、国道20号線、韮崎、小淵沢、富士見、上諏訪、蓼科、ビーナスラインと言う道順だった。
ちなみに昭和51年(1976)5月に高井戸~調布が開通し、同年12月に韮崎~小淵沢が開通、翌昭和52年(1977)12月に大月~勝沼が開通した。
この時期、自分のバイクの実力では一泊ツーリングになってしまう。就職前のアルバイト専門校生ではバイクを買うのがやっとで近場の日帰りツーリングがやっとであった。
ビーナスラインツーリングが実現したのはナナハン免許を取得してから後のことだった。

それも今は昔、現在は優に日帰りツーリングが可能である。

2014年6月中旬 我が相棒のスズキV-Strom650ABS
           立科町 女神湖レストハウス前
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