日野オートプラザ訪問 その2

この展示コーナーでは、日野自動車の星子勇氏の紹介が展示されていた。星子勇氏(1884~1944)は戦前、日野自動車の前身である日野重工業において日本の自動車産業の基礎を確立するために努力を尽くした人とのことであった。
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乗用車、トラック、バス、の製造以外にも自動車技術の研鑚のため、航空機エンジンの開発製造にも携わり、前述の「航研機」の製造も星子氏の指導によるものである。
日野自動車の前身である東京瓦斯電気工業を巡る企業の関連図。こう見ると日本の物造り企業がいろいろと関連しているのが分る。(画像クリックで拡大)
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日野自動車が製造した乗用車。
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戦後、日野自動車を牽引した鈴木孝氏(1928~)。この鈴木氏のもとで昭和の名車「コンテッサ」が誕生したのである。また、鈴木孝氏は工学博士でも有り、自動車や航空機のエンジン研究の著作も数多く有り、自分も読んで大変勉強になっている。
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なかなか日本自動車工業史の勉強になるコーナーであった。

と言う訳で、やっぱり戦後昭和の高度成長期に少年時代を送った自分にとって、日野と言えば何と言ってもコンテッサである。コンテッサ Contessa とは、イタリア語で「伯爵夫人」の意味である。

コンテッサ 1300クーペ 正面
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コンテッサ 1300クーペ 左右
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自分にとって日野オートプラザに来たのは、このコンテッサに会いに来たと言っても過言ではない。この優雅なスタイルはまさにコンテッサこと伯爵夫人そのものである。スタイルデザインはイタリアのジョバンニ・ミケロッティー氏である。
コンテッサの特徴はスタイル以外にも、国産車にしてはめずらしいリヤエンジン・リヤドライブ式、つまりRR車だったのだ。

コンテッサ 1300クーペ 後部
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コンテッサ 1300クーペ の運転席。ハンドル、ペダル、シフトレバー、メーター廻りが昭和時代そのものである。
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コンテッサ 1300クーペのエンジン。
GR100型 OHV直列4気筒、総排気量:1251cc、最高出力:55ps/5000rpm、最大トルク:9.7kgm/3200rpm、ボア:71mm、ストローク:79mm、吸気側(インテーク)と排気側(エキゾースト)はクロスフロー式。これはRR車特有の燃料系統のパーコレーション防止などのエンジン熱対策によるものであった。
前方からの走行風による冷却効果は望めないコンテッサは後部のラジエーターグリルからラジエーターファンにより外気を流入させ、熱された空気はエンジンルームの下から排出された。また排気マニホールドの大半をエンジンルームから区画するなどの熱対策をされている。
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この時代の国産車はFR車エンジン縦置きがメインで、日野のRR車は独特であった。また国産車のエンジンの吸排気は同じ側のリバースフロー式(ターンフロー、カウンターフローとも呼ばれる)がほとんどであった。まあ換言すれば、バイクのエンジンはほとんどがクロスフローであると言える。(注1)

日野ルノー Lenault 4CV
戦後、日野自動車は乗用車製造のため、昭和28(1953)にフランスのルノー公社と技術提携し、ルノーから部品を輸入してノックダウン生産を行った。その後、昭和32(1957)に完全国産化した。リヤエンジンリヤドライブ(RR)車である。エンジンはOHV748cc直列4気筒、最高出力は21ps/4000rpmだった。
さすがに昭和20~30年代のクルマなので、自分の幼年時代には走って居たのであろうが、昭和40年代の少年時代では、もうほとんど都内では見かけなかった。よって自分の記憶も定かではない。当時、タクシーでけっこう使用されたとのこと。
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コンテッサ 900 PC10
ルノー4CVの後継車として、昭和36(1961)に日野自動車が販売した乗用車である。勿論、日野独特のRR車である。設計もデザインもすべて日野自動車が担った国産車である。エンジンは893ccOHV直列水冷4気筒、最高出力35ps/5000rpmだった。
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リヤドアの後部、リヤピラーに設置されているのが、リヤエンジンのためのサイドエアインテーク(空気取り入れ口)である。


ボンネットバス BH15
1950年代に日野自動車で生産されたボンネットタイプのバス。展示車両は、昭和41(1966)に製造されたバスとのこと。エンジンはDS50型、7982cc直列6気筒予燃焼室ディーゼル、総排気量7982cc、最高出力155ps/2400rpm。
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自分はバスが好きで、今でも路線バスや長距離バスに乗ることがある。空いていれば、左側の一番前の座席がお気に入りである。何しろ見晴らしが良いし、大型自動車二種免許のプロドライバーさんの運転技術もみることが出来るからだ。最近の路線バスはワンマン化しているが、このボンネットバスの時代は、車掌さんが乗車していて居たのかと思うと懐かしい気がしてきた。
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でも、運転席の左サイドをみると、発券機と料金箱があり、昭和40年頃にはワンマン化が進んでいたことが分る。
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その3に続く

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