日野オートプラザ訪問 その3

展示コーナーの最後は、日野自動車の前身である東京瓦斯電気工業内燃機部や、東京自動車工業が製造したエンジンである。
以下は、主にエンジン(発動機)についてのことなので、かなりマニヤックな内容を含むことお許し頂きたい。

ちよだEC型エンジン
排気量:9300cc、空冷式6気筒ディーゼル、最高出力:130ps/2000rpm、
昭和12(1937)に、主に軽戦車用エンジンとして開発された。ディーゼルエンジンは圧縮比が高いため、シリンダーヘッド、シリンダーブロックなどは頑丈で堅牢に造られている。圧縮比とは、要約すれば最大燃焼室容積と最小燃焼室容積との比率である。ディーゼルエンジンの場合、予燃焼室式で 14:1~16:1 前後、直接噴射式で 18:1 ~20:1 前後の比率である。この時代、自動車用エンジンは鋳鉄製がほとんどであった。当然ながら鋳鉄製エンジンは重い。このエンジンは軽量化のため、シリンダーヘッドとシリンダーブロックはアルミニウム合金で製造されている。この頃同社は航空機用エンジンも製造しており、その技術が流用されている。またシリンダーの冷却用フィンの技術も同様に航空機エンジン技術の応用である。展示品の案内板では「吸い出し式空冷」と記載されていたが、要はファン回転による押し込み式ではなく、ファン回転にて排気熱を吸い込み吐き出すと言う強制空冷のことである。
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エンジン付属の電装品はドイツはボッシュ・Bosch社製である。ボッシュ社は精密機械メーカーとして1886年創立された会社であるが、この会社は数多くの特許を所持しており、専門校に通っていた頃、工学の講義で特許使用料だけで食って行けるすごい会社だと教わったことを今でも覚えている。ちなみにドイツの名戦闘機であるメッサーシュミットMe109に搭載したダイムラーベンツ社製のDB601やDB605エンジンに搭載していた燃料噴射装置がボッシュ社製であった。よって現在のガソリンエンジンの主流は電子制御式燃料噴射装置であるが元はボッシュの特許であることは言うまでもない。
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スターターモーター2個装着。ディーゼルエンジンの始動にはデコンプ装置で、吸気排気バルブを強制的に開け、圧縮がかからないようにして、予熱しながら、まずクランクシャフトをスターターで回転させ、勢いが付いて来たらデコンプを閉じて圧縮をかけ、微妙なアクセル操作をしながら始動と相成る訳であるが、予燃焼室式、直噴式、また予熱の方法などで、微妙に操作が違う。そう言えば、昭和の頃、建設機械や大型特殊などの大排気量ディーゼルエンジンの始動のために、小型の汎用ガソリンエンジンをスターターモーターの代わりに装着していたこともあった。
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やはりボッシュ社製の直流(D.C.)ジェネレーター、または直流整流子発電機、略してダイナモとも呼称した。1960年代くらいまでは自動車エンジンに使われてきた。その後、交流式(A.C.)の、三相交流をダイオードで全波整流して直流に変換するオルタネーターに置き換えられていった。
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DB52型/統制型100式ディーゼルエンジン
昭和17(1942)、陸軍指導により、軍用車両用ディーゼルエンジンを技術的に統一して、性能や生産効率の向上を目指した統制型エンジンである。
排気量:10900cc、空冷式6気筒ディーゼル、最高出力:163ps/2000rpm、最大トルク:51.8rpm/1200rpm
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統制型100式ディーゼルエンジンを搭載した「98式6トン牽引車」 東京自動車工業製
最高速度:24km/h、自重:6.9トン
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車両が98式で、搭載エンジンが100式だと言うと、98式6トン牽引車の搭載エンジンにはいろいろなバージョンが有ったと推測する。

この日野オートプラザの展示エンジンは、新旧合わせて15台ほど有り、全部はブログには取り上げなかったが、この手のエンジンに興味のある人は一見の価値はあると思える。
今回は、バイクのブログの主旨から脱線したかも知れないが、自動車工学は自分が若いころ勉強したことも有り、今でもこだわりは持っている。
もうすぐ3月も終わり、4月である。そろそろ桜の花も咲く頃である。これからツーリング季節の到来である。(^^)v

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この記事へのコメント

アボガド
2015年03月28日 12:25
日野コンテッサ。恥ずかしながら知らなかったです。でも、エンジン好きの私にとっても魅力ある場所ですねぇ。いいですねぇ。エンジンから昔の息吹のような躍動感を感じます。たぶん、日野コンテッサが走っていたころは、一部の人しか自家用車に乗れない時代だったでしょうし、我が家は裕福では無かったので、親父が初めて自家用車に乗ったのはずいぶん後の事でした。それだけに、その時代の車には憧れがあります。紹介していただいてありがとうございました。
2015年03月30日 20:04
アボガドさん、いつもコメント有難うございます。
今回のブログはバイクの話からそれましたが、ホンダコレクションホールに行って来てから、自動車やバイク関係の企業展示館に興味を持ってしまいました。
確かに昭和の高度成長期の時代、自家用車は庶民にとって高嶺の花の時代でありました。その時、1964年(昭和39)の東京オリンピックと前後して、東京はがらっと変わりました。自動車が急激に増え始めたのもこの頃でした。この日野コンテッサはその当時から国産車の中でも高級車でした。庶民はスバル360テントウムシの軽自動車に、やっと手が届く時代でした。その後、昭和40年代に入ってからトヨタカローラや日産サニーの登場により自家用車も庶民に普及して行きました。この変化をリアルタイムで見てきましたので、私もこの時代の自動車にこだわっている次第です。
2020年の東京オリンピックで、東京はどう変わって行くのでしょうか。平成初期のバブル時代のような無駄使いに終わらず、良い方向に向かって欲しいです。

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