天災は忘れた頃にやって来る。

『天災は忘れた頃にやって来る』
地震火事などが起こると、世間一般でもニュース報道などでも良く聞く警句で有る。古くから有る「諺・ことわざ」だと思っていたが、調べてみると古い諺ではないようである。

関東大震災(1923・大正12)を調査した東京帝国大学の物理学者であり随筆家でもある寺田寅彦先生が最初に言い出したと言われているが、寺田先生自身の執筆したものの中にははっきりそう書かれた文章はないそうである。だだし、寺田先生の随筆などでこの警句に似た文章はあり、随筆家でもある先生は繰り返しこのことを世に主張していたのだと思われる。
今回の熊本における地震も、大正の関東大震災も、阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも、その他多々有る地震でも、忘れた頃にやって来た。日本は地震多発国であってもだ。では自分はどうなのかと言うとやはりすっかり忘れていた。14日の夜9時を過ぎた頃、関東でもぐらっと来た。地震情報を見ようとテレビをつけると、ちょうど地震警報発令中で、そのうち熊本市内を映す外部カメラが捉えた地震で揺れまくる映像が流れてきた。あっ~とただただ唖然とするしかない。自然の力に人間は無力であることを改めて思い知った。

『天災は忘れた頃にやって来る』この警句まさに名言である。寺田先生は「忘れてはいけない」と言うことを戒めとして随筆されたのかも知れない。で、思い返せば忘れなかった人が居たのを思い出した。

大正生まれの伯母(故人)は、小学校高学年の時、関東大震災を経験している。伯母によれば最初 ドン と来たそうである。大地震によって家は激しくゆれ、その時、伯母は階段を転げ落ちたそうである。大地震直後は火災は発生していなかったそうである。地震より火災の方が恐いのは当時も今も変わりなく、火災に弱い木造家屋が圧倒的に多い時代、昔から火災が多かった江戸っ子ならみんな知っていることであった。そのうちあちらこちらから火の手が上がってきたそうだ。
伯母達は上野の山に避難した。祖父祖母は必要最低限な家財だけを持って、さらに祖父祖母は伯母の着物の帯に「鰹節」を何個もさして避難したそうだ。その鰹節が家族の命を守ったのである。伯母達は鰹節を小さくかじり、口の中でふやかせて食べ、空腹を満たしていたそうである。伯母はそのことを生涯忘れなかった。
この話、自分の少年時代に伯母から耳が痛くなるほど何度も繰り返し聞かされたのである。耳にタコが出来るかと思った。なにせ当時は昭和の高度成長期の時代である。戦災ならともかく、天災などあまり語られなかった時代でもあった。

そんな伯母もとっくに逝去した。大震災などの激甚災害は実際に経験した人は忘れないのである。寺田先生しかり、伯母しかりである。自分は地震は経験していても大震災は経験していない。
伯母の残したこの鰹節の話は、我が家の教訓として自分は肝に銘じていこうと思っている。

今回はバイクと関係ない記事にて恐縮。

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