ヤマハ・コミュニケーションプラザ見学ツーリング その3

XJ400D  カワサキZ400FXに対抗したXJ400の後継機種がこのXJ400D。XJ400は4iin1to2マフラーであったが、XJ400Dは4本マフラーであったのが主な違い。外見はほとんど変わらない。当時、カワサキZ400FX、ヤマハXJ400、スズキGSX400F、ホンダCBX400F、と中型400ccクラスは激戦状態だった。
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XV750E  75度V型OHC2気筒エンジンを登載したアメリカンタイプのXV750 SpecialをベースにオンロードスポーツタイプにしたのがこのXV750E。この当時、オンロードスポーツタイプのバイクをベースに、アメリカンタイプのバイクを造る方式(カスタム化)が多かったなかで、その逆のめずらしいバイクだった。良いバイクだと思うのだが当時街中で走っているのを見たのは数回だけだった。
ちなみにアメリカンタイプのXV750 Specialは、その後モデルチェンジしてXV750ビラーゴとなった。
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’70年代後期から’80代初期くらいまではオンロードスポーツ、カスタムバイク(アメリカンタイプ)、レーサーレプリカタイプが混在していたような記憶があるのだが、’80年代の本格的なレーサーレプリカの時代に突入すると、オンロードスポーツタイプのバイクがすっかり廃れてしまい、国内各メーカーともバイクはレーサーレプリカか、アメリカンタイプしかないような時代に移って行ったと覚えている。

XJ650Turbo  この展示車の前に立った時、あれれと唸ってしまった。このバイクは輸出モデルで、自分が乗っていたXJ750Dとは違うのである。外見はほとんど同じであるが、カウルのラインのデザインが違う。展示車は時おりおりで入れ替えが有るのであろう。まあ、これも仕方が無い。
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XJ750Dは、国内初のフルカウルが装着され、デジタル液晶表示メーター、電子制御式フューエルインジェクション、駆動伝達はドライブシャフトとその当時、最も斬新的なバイクだった。ハンドル高さはレーサーレプリカほど過激な低さではなく、乗車姿勢は若干前傾になる程度であった。またフルカウルのおかげで走行しているかぎり、降雨量の程度にもよるが、あまり直接的に雨には当たらなかった。でも停まれば雨に濡れる。そりゃ当然 (^^; ほんと良いバイクで長距離ツーリングには最適だった。

GT50  ミニトレと呼ばれたFT-1の後継モデル。勿論、このGT50も同じくミニトレと呼んでいた。ホンダモンキー、ダックスホンダ、バンバン50などの一連の原付レジャーバイクとは一線を画するダートレースにも耐え得るバイクだった。
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パッソル  このバイクを見て思い浮かぶは八千草薫さんである。パッソルのCMキャラクターだった。清楚な若奥様風の八千草さんが「私にも乗れます」と言うキャッチフレーズは今も思い浮かぶ。八千草薫さん、ほんとお綺麗でした。(^^)  明らかに、ラッタタ~のソフィア・ローレンと対峙していたのは確かである。
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じっくり見学していると時間が経つのが早いものである。名残惜しみながらコミュニケーションプラザを後にした。
帰りも来た道と同じように遠州の田園地帯を抜け、森掛川ICから新東名に入った。トンネル郡を抜け、大井川に架かる高架橋で海側からの強風に煽られた。ぐっとバイクを押さえ込みながら進んだが瞬間冷やっとした。
清水PAで休憩。ここ清水PAは上下集約型のPAで、駐車場のみ別々、エリアの設備は一緒。
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ここにはクシタニカフェがある。行きの休憩時は缶コーヒーだったので、帰りはちょっと豪華にクシタニカフェのカフェオレと洒落込んだ。(^^)
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現在、MAZUDAターンパイク頂上の大観山レストハウスのクシタニカフェは残念ながら閉店してしまい、久しぶりのクシタニカフェだった。
帰路の新東名、東名は厚木IC付近までは順調に流れていた。圏央道と交わる海老名JCT手前で渋滞にはまった。ここは慢性的に渋滞している箇所である。ここを抜けるのに約1時間の試練が続いた。東京ICで降り、午後8時を少し過ぎた頃に帰着した。

走行距離 504 km   燃費(メーター読み)33.6 km/ℓ

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