リターンライダー奮闘記

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zoom RSS ノスタルジー、'70年代後半400cc中型バイクが出始めた頃の話。

<<   作成日時 : 2018/03/13 07:16   >>

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ななひゃくごじゅうのエンジン♪ 燃えるサタディーナイト〜♪ だけどぉーブンブン♪
なんて歌が流行っていた暴走族最盛期から少し過ぎた頃、政権は三角大福のなれ合いの頃、社会は後期高度成長期を駆け上がり詰めたところで第一次石油ショックによる低迷期に入り、その影響も日本社会にまだ影を落としていた1976年(昭51)の春も過ぎた頃、自分はCB400 FourUに乗っていた・・・。
と言う訳で、今回もノスタルジーものの記事である。 前回の記事と時期的には多少前後する話である。(^^;

HONDA ドリームCB400 FourT 1976/3 (資料画像)
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1974年にデビューしたCB400 Fourは、総排気量408ccで中型免許では乗れなかった。 ストローク(行程)を50.8mmから48.8mmにダウンし、総排気量398ccにして、(出力が37ps/8,500rpm⇒36ps/8,500rpm、トルク3.2kgm/7,500rpm⇒3.1kgm/7,500rpmに変更) 中型免許に対応したのが、 CB400 FourTとUだった。Tはセミフラットハンドル、Uはアップハンドルだった。カラーリングはレッドとイエローの二色だった。自分はレッドタンクでアップハンドルのUに乗っていた。他にCB400 Fourと違うのは、左右サイドカバーがブラックになったことくらいだった。

工科系専門学校の通学と郵便局のアルバイトで明け暮れていたが、休みの日には、日帰りツーリングなどしていた。休日の第三京浜の港北パーキング(昭和時代の港北パーキングは、湘南や箱根方面ツーリングに行くバイクや、待ち合わせのバイクでいっぱいだった)で、休憩していると、「おーい、彗星くんじゃないか〜!」と自分を呼ぶ声がした。ふり向くと、高校のクラスメイトの〇〇君、△△君の二人だった。二人は○〇君のクルマで来ていた。そのクルマは買って貰ったと思える真新しい白いスカイライン2000GT・ハードトップ(ケンメリ・スカG)だった。どうやら大学生二人してドライブらしい。(ナンパ目的のドライブだったかもね〇×△) 「へぇ〜、彗星くんバイク乗ってんだぁ〜」、「うん、そうだよ」、「僕らはクルマだよ〜」、「高校ではバイク禁止だったからね。そのスカGすごいねぇ〜」、「彗星くん、バイクは危ないから気をつけろよ〜」、「僕は安全運転するから大丈夫だよ〜」 なんてたわいのない会話で、その場で別れたが、カセットテープ式カーステレオで、アメリカンPOP'Sか何かをかけて彼らは先を急いで行った。
これは今でも言われることが有るのだが、「彗星さんのお年だったら、ぎりぎりバイクの免許は限定無しの何でも乗れる免許だったんでしょう?」と聞かれるのである。年齢が上の人にも下の人にも聞かれるのだが、特に少し下の世代のバイク乗りによく聞かれることが多い。で、「自分は高校を卒業して19歳の時にバイクの免許を取って、その時はもう中型限定でした。」と言うと、多少びっくりする人がいるのである。その当時、大抵の人はバイクの免許は16歳で取り始めるからであったからだ。自分も16〜18歳で、退学覚悟で免許をとれば、限定無しだったはずである。よって、あの当時、19歳でバイクの免許取得は遅かったのかも知れない。(師匠は、高二の時、退学覚悟で取っていた。勿論、通学などには使っていない。また当時、私学の高校は殆どバイク禁止であった。ところが、都立高校は学校によっては全く自由。バイク通学も認められていた。この差はいったい何なんだろうか?)
なんで港北パーキングの昔話をしたと言うと、高校生のバイク免許取得禁止やバイクに乗車禁止と言うことは、後年の「教育」と言う大義名分のもとにおいての過激な人権侵害である『三ない運動』に発展して行くからなのだ。この『三ない運動』の直接的効果は、交通事故防止と称し、バイク=危ない乗り物、バイクに乗らせなければ事故も無いし、勉強の妨げにならない。と言うことなのだろう。(自分も師匠も、勉強していたし当たり前のように高校も卒業し、手前味噌であるが、専門学校も成績優秀で表彰されて卒業しているので、バイク=不勉強とはならない)
しかし、この運動の後世への絶大な悪影響は、間接的効果の方なのである。つまり自分達の世代か下の世代の、バイクに興味が無い大抵の人達は、その間接的効果によって、バイクは事故を起こす危ない乗り物、バイク=悪=不良=暴走族と言うことですっかり扇動され、洗脳されてしまっているからだ。それは、行政側によるバイクへの規制強化に繋がり、四輪オンリードライバーによる、バイクへの無理解、認識不足に繋がって行くからなのだ。
自分は、何も16歳になったからと言ってバイクの免許を何が何でも取れとは言っていないし、それはそれで個人の自由である。でも自分がこの「三ない運動」とやらをを嫌らしく思うには、後2年経てば18歳なんだからクルマの免許を取れば良いのだ。クルマは安全な乗り物だし、その頃はもう高校も卒業だし、受験で忙しいので免許どころではないはず。と言う教育管理者側の理論にすっかり洗脳されてしまった人が多いのだ。これは現在、当時の洗脳された世代が、中高年になり、四輪オンリードライバーが、バイクへの無理解と偏見から邪魔者扱いしたり、煽ったりするドライバーに多いと言うことに繋がって行くのである。
さらに問題なのは、教育と言う名の大義名分で、憲法で保証された基本的人権および、国家により、道路交通法で認められた16歳で自動二輪免許取得許可能なことを、まったく法律では無い一種のスローガンでも有り、悪質なプロパガンダが、国家の法律より上位になり、対象者(特に高校生)を縛ったことなのである。我々の祖国日本は、法治国家では無かったのか? 『教育界の常識は、世間では非常識』とある著名な教育界隈の大学の先生が指摘しているように、三無い運動は、世間知らずの教育者側や石頭のPTA側の、異常な人権弾圧そのものなのである。

またその間接的効果は現在の「若年者のバイククルマ離れ」の深層的原因と言えるかも知れない。さらに指摘すれば、暴走族だけが悪いのでなはい、勿論彼らの不法走行は認められないし、暴力行為などはもっての他である。しかし、「鬼畜米英撃ちして止まん」、「欲しがりません勝つまでは」、の戦意高揚のプロパガンダのもと、多くの無辜の民を傷つけ、命さえ奪い、国を滅亡の一歩手前まで追い込んでしまったその時代の為政者と追随した当時の輩達と、「バイクは乗らない、買わない、免許は取らない」のスローガンを画策したその時の教育者側と同調した輩達は、目的のためなら他に耳を貸さず、排除することを是とする悪質な輩で、一脈通じる同じ穴のムジナであることを充分に認識しなければならない。日本人がプロパガンダ戦に非常に弱いことは、戦前、戦中、戦後も、21世紀初期の現代もまったく同じなのである。
現在、『三ない運動は』かつての勢い無いそうで有るが、今も何処ぞで、しぶとく生きているかもしれない。そのムジナを徹底的に死滅させなければ、この国に健全なバイク社会は来ないで有ろうし、世界に冠たる四大バイクメーカーを持つ我らが祖国日本の誇りを失うことにもなりかねないのだ。
どうも自分は『三ない運動』のこととなると過激になってしまうので、話を戻す。


前々回のノスタルジーものでも書いたが本田技研はCB400Four の後、CB400T HAWK II (1977/5)、CB400T HAWKU・ ホンダマチック仕様 (1978/1)、HAWKUをマイナーチェンジ(1978/3・やかんをチェンジ)、CB400N HAWK V(1978/8)、と続いた。

CB400T HAWKU 1978/3・マイナーチェンジ車、 あるいはホンダマチックHAWKU(資料画像)
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前型のやかんタンクから、四角いタンクになった。但し、この四角いタンクはホンダマチック仕様車が先に装着していたのを覚えている。この資料画像は、ホンダマチック車なのか、マイナーチェンジ後のHAWKUなのか、鑑別が難しいが、サイドカバーを見ればホンダマチック仕様車かも知れない。
初代HAWKUと、WING・GL400についてはこちらをご照覧あれ。
http://94478806.at.webry.info/201801/article_2.html

CB400N HAWK V 1978/8 (ホンダコレクションホール展示車)
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CB400T・HAWK II をベースに、カフェレーサースタイルを取り入れモデルチェンジした。その他の変更は、トランスミッションを6速に変更し、燃料タンクを14Lに増量、フロントディスクブレーキをシングルからダブルに、コムスターホイールからアルミホールにした。

YAMAHA RD400 1977/4 (資料画像)
2スト2気筒エンジン、38PS/7000rpm Fr/Rrディスクブレーキ 6速ミッション
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YAMAHA スポーツ RD400 1979/3 (資料画像)
マイナーチェンジ、6速ミッション CDI点火。
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YAMAHA GX400 1977/5 (資料画像)
ヤマハが400ccクラスで初めて登載したOHC4スト2気筒エンジン。37PS/8500rpm
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スズキ GS400 1976 (資料画像)
このクラスで初のDOHC4スト2気筒エンジンを登載したGS400。36PS/8500rpm。このGS400も絶版車として人気車種らしく、高価格で売買されている様子である。この当時でも街中でよく見かけた車種であった。確かにかっこ良い。
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確か、専門学校のクラスで、ブルーのカラーリングのGS400に乗って通学していたクラスメイトが居た。年齢的なものもあるが、専門学校ではバイク禁止などまったく無い所だった。まあ、それは当たり前である・・・。


さて、この時期、750クラスでは真打ちだったカワサキは、400cc中型クラスではあまりぱっとしていない時期だった。
勿論、各メーカーとも、400cc中型クラスへの対応を本格化しておらず、生産の主流は輸出向けであったからだ。それは、なにもカワサキだけとは限らなかった。

Kawasaki KH400 (資料画像) 1978年タイプ
2スト、マッハ系列の350SSは、すでに1975年12月のモデルチェンジで、KH400になって、38PS/7000rpm、3.9kgm/6500rpmにマイルド化した。じゃじゃ馬マッハの面影は、もう無くなってしまっていた。
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4スト系には400RS(1974・昭49)があった。
Kawasaki 400RS  1974 パンフレット
OHC4スト2気筒、 35ps/8500rpm、3.17kgm/7500rpm
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その400RSは、1977年(昭52)はマイナーチェンジし(名称を変更、カラーリング変更)Z400となって再デビューした。
Kawasaki Z400 パンフレット
36PS/8500rpm、3.3kgm/7500rpm  ブラウン系、ブルー系、の二色があった。
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この時期、このZ400は、Z750Four、と並んで、モトライダー誌の裏表紙を飾っていたのを覚えている、他のメーカーが、女優さんや綺麗なモデルさんと一緒で、華やいだ宣伝広告だったのに、ツナギか何かの専用ジャケットと、ヘルメットを小脇に抱えた正統派ライダーと並ぶZ400、Z750Four、飾りっ気まったく無しの硬派な宣伝広告だった。このイメージが、後に『漢・カワサキ』のイメージに繋がって行ったのであろうか・・・。

Z400と、Z750Tの、OHC4スト直列2気筒エンジンの特長は、殆どの並列置きエンジンのクランクシャフトが、前後輪と同じ方向に回転するのに、唯一この二機種は、前後輪に対し逆回転しているエンジンだったと言うことなのである。これは、直立2気筒が故に発生する振動を軽減するため、バランスシャフト(バランサー)を設置したことと、その駆動方法をチェーン駆動にしたことによるミッション軸への伝達の回転方向の順を考慮し、回転を補正するためにカウンターシャフトをさらに増設してしまうとさらなる重量アップになってしまうことなどから、エンジンを逆転させたのである。このことを詳細説明するとメカマニアの世界に入ってしまい、かなり長くなってしまうのでここまでとする。

以上、1975年(昭50)〜1980年(昭55)頃の400cc中型バイクの変遷を書いてきたが、この時期、400クラスは転換期前の一時的な模索期間だったのでないだろうか?
自分も師匠もモラトリアムな時は過ぎ、各自社会へと巣立って行ったのは、そんなこの時期だった。(^^)v


400cc中型クラスはこの後、カワサキZ400FX(1979年・昭54)、ヤマハXJ400(1980年・昭55)、スズキGSX400(1981年・昭和56)、ホンダCBX400(1981年・昭56)と、80年前後の時期に一気に開花する。ナナハン何するものぞ、と国内販売の主力をなして行き、250ccクラスの攻勢とともに、日本のバイク界隈は、80年代の『レーサーレプリカ全盛時代』へと移行して行くのであった。

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