航空自衛隊浜松広報館見学ツーリング その2

当日は三連休中だったこと、航空祭の前日たっだことが重なり、けっこう多くの人達で広報館は賑わっていた。
まずは「展示格納庫」から見学を始めた。
画像

広い格納庫の中には歴代の航空機が展示されていた。

F-86Fは米空軍初の後退翼戦闘機で、元となったXP-86は、1947年10月1日に初飛行したとのこ。
1955年~57年までに、180機配備(米軍からの供与)
1956年~61年までに、300機導入(三菱重工によるライセンス生産)
展示機はブルーインパルス仕様
画像

F-86Fには「旭光」と言う空自の愛称が有るのだが、アメリカ風の「セイバー」と言うことが多かった。

1964年(昭和39)第18回オリンピック・東京大会において国立競技場上空でF-86Fブルーインパルスが描いた5輪。
画像

当時自分は8歳であったが、テレビ(当時はモノクロである)にかじり付いて開会式を見ていた。アナウンスでブルーインパルス到来が知らされると、屋根上(実家)にあった物干し台に駆けつけて国立競技場方向の空を見上げたら、5輪の一番端の輪が秋の蒼天にくっきり残って居た。まさにこの写真の通りであった。焼け野原になった昭和20年3月10日の東京大空襲からたった19年後の快挙であった。
あれから50年、来年この東京でまたオリンピック・東京大会が開催される。実に半世紀と言う月日の流れを実感してしまう自分であった・・・。


T-1A練習機 (富士重工製)
T-6練習機の後継機として、配備された国産ジェット練習機。
輸入エンジンでの初飛行は、1958年1月
国産エンジンでの初飛行は、1960年5月
後継機はT-4。
画像

このT1-A中等練習機の空自の愛称は「初鷹」。
個人的に好きな航空機で、セイバーよりすっきりした形状がかっこ良かった。(^^)
富士重工の前身は中島飛行機である。先の大戦の終戦間近、日本初のジェット戦闘機「橘花」を造った会社である。実際に「橘花」の技術が転用された訳でな無く新設計であるが、やはり考え深いものがある。(橘花はメッサーシュミットMe262からの転用技術である)
画像



T-2高等練習機 (三菱重工製)
T-2は国産初の超音速高等練習機として1967年に開発が開始された。
1975年3月26日~98年3月7日までに96機が導入。
展示機はブルーインパルス仕様。
画像

このT-2高等練習機から、F-1支援戦闘機が誕生した。


ここにも有ったか「ゼロ戦」!
零式艦上戦闘機『52型』43-188号機(旧三菱)
三菱名古屋工場製造(昭和19年3月)
1963年グアム島で発見。
1964年米軍C-130輸送機で空輸(グアム→岐阜基地→三菱・大江工場)。
1967年~浜松基地にて保管。
1999年~浜松広報館にて展示。
画像



展示格納庫から本館展示室へ向かう途中の通路から見える航空自衛隊浜松基地の滑走路
画像


現在航空自衛隊で運用されている航空機のモデル群である。なかなか良く出来ている。
画像


F-2戦闘機のモデル。
F-2の原型はアメリカのF16であり、そのF16をベースに日米共同で改造開発した戦闘機である。
平成7年に初飛行、12年度に開発は完了。
《性 能》
最大速度 マッハ約2.0
武装 20mm機関砲、空対空レーダーミサイル、空対空赤外線ミサイル、空対艦ミサイル。
画像


F-2の実物大モックアップ。
画像


三連休である。帰りの東名高速の渋滞を予測していたので、見学は早々に切り上げ帰還を開始した。
浜松浜北インターから新東名、東名、とV-Stromミーティングと同じパターンであった。

新東名森町PA
画像

と言う訳で、昨年11月24日に実施した「航空自衛隊浜松弘報館ツーリング」をレポートした。(^^)v

浜松広報館は、航空自衛隊ファンには見逃せない施設である。尚且つ、昔の飛行機少年の夢を駆り立てる場所でもある。

走行距離 522km   燃費 29.6ℓ

"航空自衛隊浜松広報館見学ツーリング その2" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント